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Part61 Part60について寺子屋メンバーと語り合う 前編
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【Part61 Part60について寺子屋メンバーと語り合う 前編】は約59分の音源です。 ・江戸時代の先進性と有機農法を取り入れた生活の仕組み ・利権構造を構築したフリーメーソン ・明治政府のしたこと ・放射能とバクテリアと塩麹 ・英国が野田首相を称賛する裏側 ・金と銀の交換比率から見る世界の裏街道の歴史 ・長岡藩 山本五十六元帥と河井継之助 ・皇族派閥の駆引きの歴史 ・寺子屋メンバーによるPart60の感想 ・和尚さんが弁栄上人を話題にした理由 ・数学は美学で情緒、宇宙は数学でつづられた聖書 ・選択本願念仏集 往生之業 念仏為先 ・少年老い易く人生学成り難し ・空外先生の教え ・京都老舗が代々残す言葉 ・No.2に話を聞け ・天人すら五哀の悲しみを免れず ・Part60の凄さ ・その人の程度 体感 知る者は言わず ・正受老人と若き白隠禅師の禅問答 ・農業・念仏、数学のバランスの良い生活をした岡潔先生 ・農業には全てある
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Part61 Part60について寺子屋メンバーと語り合う 後編
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【Part61 Part60について寺子屋メンバーと語り合う 後編】は約56分の音源です。 ・家電メーカーの戦略方針と庶民感覚とのズレ ・イスラムと良く似た日本国民性 ・永遠のもの(魂)変わらないものが変わっているので悟っても変わらない ・弁栄上人に帰依した笹本戒浄上人の弁栄上人の悟りについて ・ユング先生の神の表現 ・悟りを開いた弁栄上人の活動 ・万物となっているものが阿弥陀仏 ・拝むことができる精神発達ができているかが、問題である ・念仏とは御力が私の心と体に入ってきて仕事をしてくださることである ・雲晴れて 後の月とは 思うなよ もとより有りし 有明の月 ・報身が宗教のエキスと考えた弁栄上人 ・真善美の理解と解釈 ・宇宙の法則に反するのが悪、合った生き方が善 ・寺子屋メンバーの気付きと意見 ・その人の深まり具合によって色んなものが見えてくる ・菩薩の世界 時間と空間を超えているから認識できる人は会える ・ディメンションオペの奥義 ・弁栄上人の語り口 ・岡潔先生をモデルにした映画「好人好日」の話 ・藤本義一さんのキャリアと人生の師匠との出会いによる深まり ・毎日書いていないと筆力がでない ・和尚さんのお庭にある全てが四葉のクローバー!!
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Part62 日本の誇れる先人 内藤湖南を語る 前編
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【Part62 日本の誇れる先人 内藤湖南を語る 前編】は約1時間の音源です。 ・内藤 湖南 1866年8月27日ー1934年6月26日 ・湖南先生の有名な言葉「森深く日に新たなり」 ・弟子の高橋克三氏が秋田県鹿角市に「蒼龍窟 」(そうりゅうくつ)を作る ・湖南先生の名前は「虎次郎」だった。湖南は号 ・両親はともに学者で幼いころから才能を見せた。 ・「読書百篇意自ずから通ず」(四書五経の素読) ・幼くして、祖母・母・兄を亡くし素読に勤しむ ・大人になってから、小さいころの自分を書いた(嫌われ者であった) ・虎次郎から湖南へ名前を変える(父の影響・十和田湖から) ・1880年、鹿角の小学校で比較競争試験を受ける(尾去沢の虎と呼ばれた) ・後輩、大里武八郎先生の湖南の昔話 ・二十歳で毛馬内村(けまないむら)の小学校の首席訓導(校長)になる ・このころから、夜更かしをして本を読むくせが一生つづく ・虎さんの才能を見つけた人 ・郷里を捨てた理由 ・ジャーナリストになった虎さん(湖南) ・処女作「近世文学史論」を出す ・湖南の持論「文化を生み出すものが土地であり時代である」 ・湖南が、文人・学者から目を付けた三人のお話 富永 仲基(とみなが なかもと) 山片 蟠桃(やまがた ばんとう) 三浦 梅園(みうら ばいえん) 素晴らしい方々です。 ・1899年9月、34才で念願の中国旅行に出発、後 「燕山楚水」(えんだんそすい) ・清国西遊紀代を出す ・これらを皮切りに何回も中国に行く ・世界から中国問題なら湖南に、と絶賛される ・「お釈迦様でも孔子でも学歴(帝大卒)のない人間は(帝大教授として)認めない」何故、師範出の湖南が京都大学教授に・・? ・東洋史学では湖南しかいない。 ・邪馬台国論争で、東の白鳥(九州説)・西の湖南(畿内説)で二分する ・文献学派(白鳥)と実証学派(湖南)の違い ・後輩史学者 宮崎市定 (みやざき いちさだ)の湖南に対する素晴らしい評価「内藤史学は立体的であると言う、中国から日本を見る日本から中国を見直す 政治から文学を見、文学から・・・・ 続く」 ・松本信弘先生が偶然パリで湖南に会って尋ねたこと ・湖南の東洋史学の特徴 (脈々と続いた実証主義) ・4300枚の写真の意味 ・世界の満州史のバイブル ・人が来ると素直に喜んだ湖南先生 ・芸術家でもあった湖南先生(山本空外談)
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Part62 日本の誇れる先人 内藤湖南を語る 後編
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【Part62 日本の誇れる先人 内藤湖南を語る 後編】は約55分の音源です。 ・1933年10月 日満文化協会のため満州に行く ・この時、胃癌の兆候が出るがそれでも行く湖南の思いの強さ ・国家にとってもっとも望ましいこととは?(文化が政治を支配すること) ・満州で撮った記念写真その中の鄭孝胥(ていこうしょ)が恭仁山荘に訪れる ・恭仁山荘 湖南が晩年(69才まで)すごした加茂の山荘 ・末娘が後に話した父湖南の強さと自身 ・湖南の残した素晴らしい業績・教え ・1934年6月26日死去。京都東山 法然院に眠る ・富永 仲基(とみなが なかもと)の心情が分かる和尚さん ・UFOの違う見方・考えかた ・昔、プラズマを作っていた和尚さん ・いつも問題意識を持っていることが大切だ ・江戸時代と明治時代 ・文化の華が開いた江戸時代 ・江戸時代にも邪馬台国論争はあった ・数学者 望月 新一先生の業績 ・時には無限が見えるときがある ・今でも算学が神社に奉納されている ・最近のガン医療は少し変わってきた? ・1グラム 3億3千170万円する抗がん剤! ・現在は栄養過剰の栄養失調 ・エストロゲンのホンマの話 ・亜鉛の取りすぎはダメ。 ・昔はマラソン講演を平気でこなしていた和尚さん
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Part63 日本の誇れる先人 寺田寅彦を語る 前編
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【Part63 日本の誇れる先人 寺田寅彦を語る 前編】は約55分の音源です。 ・一生懸命 ・夏目漱石「吾輩は猫である」 水島寒月のモデルが寺田寅彦先生 ・科学随筆「金平糖」の角 ・日常の足元からのアプローチによる物理根源への展開 ・「天災は忘れた頃にやってくる」の有名な言葉について ・科学随筆「茶碗の湯」から学ぶ気象学の根本 ・随筆「線香花火」が物理学・化学の根本へ ・寺田寅彦先生の生い立ちとキャリア ・随筆「花物語昼顔」の回顧から見る田丸卓郎先生から学んだ物理学の喜び ・文学は夏目金之助(漱石)先生から学ぶ ・俳句とはレトリック(素材の組み合わせの配置)を煎じ詰めたもの ・第五校(熊本)から東京帝大へ進学、独留学 ・1917年38歳 ラウエ斑点の研究にて日本学士院恩賜賞受賞 ・随筆「どんぐり」妻 夏子への追想 ・大正12年 関東大震災の被害調査を政府から命じられる ・友人 小宮豊隆へ宛てた手紙 ・山裂けて なりける池や 水すまし 震生湖 ・「天災と国防」 ・寺田先生の設定条件変更対応可能なウズマキの可視化実験 ・科学の仮説はインスピレーションを受けた者だけが作り出される ・質的な物理学 ・偶発的統計学的現象、複雑系科学「宇宙のゆらぎ」 ・陽子と陽子をぶつけた時、励起(反応)したところをフィックス場という ・フィックス場は1兆分の1秒以下しかもたない ・その波を受けた部分をフィックス粒子という ・わずかな「ゆらぎ」を予見していた寺田寅彦先生 ・金平糖でフィックスの場を証明した寺田寅彦先生
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Part63 日本の誇れる先人 寺田寅彦を語る 後編
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【Part63 日本の誇れる先人 寺田寅彦を語る 後編】は約47分の音源です。 ・田丸卓郎先生から学んだ物理学の視点 ・生物現象(藤の実)からアポトーシス(潮時)の本質を説明 ・俳諧の連句 ・夏目漱石門下生、寺田寅彦、小宮豊隆、松根東洋城、3人の連句 ・連句とは、イメージをつなぎあわせ時空を超えた世界を漂いながら続く ・前の人の句を活かし肯定しながら付かず離れず完結しないでまとめる ・連句の精神、思いやり、配慮、他人の中で生きる訓練 ・共著が多い寺田先生の250篇に及ぶ科学論文 ・ペンネーム吉村冬彦にて300篇以上の科学随筆 ・心に火をつけてくれた人の出会いの重要性 ・自身のアポトーシスを悟っていた寺田先生 ・随筆「科学者と頭」 ・漱石の句「落ちさまに 虻を伏せる 椿かな」 ・死の3年前に始めた研究「落椿の力学」 ・まざまざと 夢の逃げゆく 若葉かな ・寺田寅彦先生のバイオグラフィー ・晩節を粗末にしない ・以外と知られていない油絵140点 日本画・水彩画300点も生涯描いておられた寺田寅彦先生 ・寺田寅彦先生のまとめ
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Part64 日本の誇れる先人 新島襄を語る 前編
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【Part64 日本の誇れる先人 新島襄を語る 前編】は約1時間2分の音源です。 ・日本の文化の深さ ・シルクロードは中国(長安)まで ・明治のベースは江戸時代 ・日本の教育を広げた明治六大教育家の一人 新島襄・にいじまじょう(本名は七五三太・しめた) ・1853年ペリー来航 ・17才で幕府の軍艦操練所に行く新島 ・新島を変えた運命的書物・漢訳聖書(聯邦志略・れんぽうしりゃく) ・幕末の函館・異文化の町へ行く ・五稜郭を作った人(武田 斐三郎)ペリーが尊敬した人 ・1864年4月 新島 洋学者 武田 斐三郎に会いに行く ・新島の密航を手助けした人・福士卯之吉 ・密航中の新島を助けたかけがえのない人達 ・強運の新島 ・植民地のひどさを見て教訓にする ・1865年ボストンに着くこの時リンカーンの死を知る ・言葉の障害を知り二か月船にこもる ・ワイルド・ローヴァー号の船主・A.ハーディー夫妻の援助をうけ、フィリップス・アカデミーに入学することができる ・後に同志社が良心碑を送る ・1866年12月 念願の洗礼を受ける(ジョセフハーディー・ニイジマ) ・ほんとうのキリスト教徒は紳士である(新島のこと) ・すばらしい出会いと新島のアメリカのお母様達 ・内村鑑三にアーモスト大学を推薦する ・アーモスト大学の教育理念が新島を育てた ・福沢諭吉の「西洋事情」が売れる ・1871年ボストンで森有礼に会い正式な留学生と認可される ・神様が背後霊になったような強運新島 ・1872年(明治5年)岩倉使節団と会う ・田中不二麿らとヨーロッパに渡り学術調査 ・アメリカン・ボードの年次大会で日本でキリスト教主義大学の設立を訴え、5,000ドルの寄付を得る ・1ドルの寄付の重さ
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Part64 日本の誇れる先人 新島襄を語る 後編
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【Part64 日本の誇れる先人 新島襄を語る 後編】は約1時間1分の音源です。 ・生涯寄付集めの人生だった ・官学と私学の考え方の違い ・明治7年に帰国 久々に両親にあう ・私立の建学精神 ・大阪での私塾開業は出来なかったが、京都府大参事(副知事)・槇村正直(まきむらまさなお)、府顧問・山本覚馬(やまもとかくま)の賛同を得る、強運新島 ・そのお蔭で、明治8年官許同志社英学校を開校し初代校長に就任する。 ・最初は先生2人生徒8人だったが、翌年70人になる ・学校内ではキリスト教を教えないと府に念書を書く(豆腐屋の二階で教える) ・1876年1月3日山本覚馬の妹・八重と結婚する ・豆腐屋で教えていた訳 ・熊本からの編入者の一人、徳富 猪一郎 徳富 蘇峰(とくとみ そほう)ともいう ・新島に5800坪の土地を提供した山本 覚馬とは?(注・必) ・各藩に山本覚馬ありと言わしめた ・1868年(慶応4年)の鳥羽・伏見の戦いの時、京に残り薩摩藩に捕われる 幽閉中に建白書「管見」を口述筆記し藩主に上程、これを読んだ小松帯刀(こまつたて わき)、西郷隆盛らは益々敬服、一層待遇を良くしたという ・慶応4年6月 建白書(管見)を新政府に提出 ・覚馬の建白書にそのまま乗っかった明治政府 ・1890年(明治23年)新島47才で死去の後、同志社臨時総長として発展に尽力する ・1892年(明治25年)心眼の人・山本覚馬 64歳で死去 ・二代将軍 徳川秀忠の隠し子の秘密 ・秀忠の隠し子(幸松)を命をかけて守った武田信玄の次女である見性院 ・幸松が初代会津藩主 保科 正之(ほしな まさゆき)になる ・武田の直系、武田 斐三郎の活躍、文政10年9月15日(1827年11月4日) - 明治13年(1880年)1月28日) ・科学者でもあった斐三郎(緒方洪庵・佐久間 象山)にも学ぶ ・国産の帆船を造り生徒らとロシアに修学旅行に行く ・斐三郎の素晴らしい弟子たち ・明治8年グラント元米国大統領が陸軍士官学校での斐三郎の授業を参観して賞賛した。 ・陸軍を指揮した斐三郎 ・このような素晴らしい方々との縁があった新島先生 ・徳富 猪一郎の新島に対する印象「新島先生は頭の人ではなかった、心の人であった」 ・新島の生涯の目的 ・明治12年政府の徴兵令に対し私学との差別で強く抗議する(信念の人) ・新島のささやかな楽しみ ・明治20年6月待望の仙台東華学校(とうかがっこう)ができる ・1887年8月お世話になった岳父ハーディー氏が亡くなる ・明治21年京都知恩院に650名以上の人が集まる中、同志社設立の主意が発表される ・明治14年山城田辺に南山義塾が開設、新島襄も祝辞を述べる 100年後に同志社田辺キャンパスが出来る ・同志社設立の意義が回りの人々に段々と理解されていく ・明治22年11月群馬県前橋での募金活動後、腹痛を訴え倒れる ・死ぬ二日前、枕元で八重・徳富蘇峰・小崎弘道に10か条の遺言を託す ・1890年(明治23年)新島襄享年47才で死去、京都東山若王子(にゃくおうじ)山頂に葬られる ・新島襄永眠30年後、大正9年に同志社大学設立になる ・新島が目指した真の自由とは ・日本の未来を心配していた新島 ・明治六大教育者の一人(新島襄) ・文豪・徳冨 蘆花の兄・徳富蘇峰の「近世日本国民史」全100巻 他の文豪らにも愛読されていた ・兄・徳富蘇峰と弟・ 蘆花との仲 ・縁の大切さ
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Part65 明治維新、日本の夜明けを演出した緒方洪庵と塾生達 前編
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【Part65 明治維新、日本の夜明けを演出した緒方洪庵と塾生達 前編】は約1時間13分の音源です。 ・明治を語るには江戸の末期を語る必要がある ・長与専斎(長崎大村藩)回想録からみる緒方洪庵先生の適々斎塾の様子 ・適塾姓名録から全国から来た門人1,000人 ・適塾が若者を惹きつけた理由 ・緒方洪庵先生の出生と経歴 ・中天遊に師事し医学だけでなく理学、天文暦学も学ぶ ・儒学者(中井履軒)が蘭学(麻田剛立)を援助し敷居がなかった大坂 ・『解体新書』の前、安永2年1773年にでていた『越爼弄筆(えっそろうひつ)』 ・学問が融通無碍であった大坂 ・科戸(しなと)の神のお話 ・蘭学の水準をあげた中天遊の師橋本宗吉(元番傘紋職人) ・1833年22歳に江戸の三大蘭方医、坪井信道の安壊堂入塾 ・1809年に独人が蘭訳した『人身究理紹介』人体生理学書を日本で最初に翻訳した洪庵先生 ・自身での原書翻訳する重要性と喜び、洪庵先生の学問の原点 ・摂州名塩の医師 億川百記の援助による天保7年長崎留学 ・天保9年春29歳大坂瓦町で蘭方医として開業し、17歳であった妻八重を迎える ・大坂町医番付 前頭4枚目に張り出された頃の洪庵先生の応診時の薬箱の様子 ・開業しても蘭学本の翻訳に打ち込んでいた洪庵先生 ・安政5年コレラ猛威時に『虎狼痢治準(ころりちじゅん)』一巻まとめる ・安政4年から文久元年の4年かけてフーフェランド先生の50年の臨床実験を教科書風にまとめた最新の内科書『扶氏経験遺訓(ふしけいけんいくん)』30巻 ・洪庵先生36才 町医西の大関番付時、過書町の両替商町屋を購入適塾へ ・大坂除痘館を設け種痘組織的普及活動し、公的使命を徹底する ・オランダ人ポンペ医師の対処法に日本人の体質に調整した対処 ・座右の銘 直筆の『扶氏医戒之略(ふしいかいのりゃく)』 ・語学力の養成に重点をおいた適塾の内容 ・実力主義の適塾授業風景 8?10段階のクラス分け ・翻訳合戦 ・師の背中、後姿
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Part65 明治維新、日本の夜明けを演出した緒方洪庵と塾生達 後編
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【Part65 明治維新、日本の夜明けを演出した緒方洪庵と塾生達 後編】は約1時間3分の音源です。 ・明治を作ったのは全国から集まった洪庵先生の弟子達 ・『ワンダーベルト』最新の物理学書(蘭語)翻訳に取組む福沢諭吉 ・安政元年9月18日露「軍艦ディアナ号」大坂天保山沖へ来航、通訳のない町奉行が適塾に応援を頼む ・ニコライ司教に『古事記』を教えた新島襄 ・蘭学を通して医学から軍事学へ軸足が変わっていった適塾 ・大塩平八郎の乱以降の国の大リストラ ・山本覚馬の建白書を実行できる弟子を育てた洪庵先生 ・大村益次郎(近代陸軍の基礎を固める) ・佐野常民(赤十字社創設、初代社長) ・長与専斎(種痘事業の国策化) ・福沢諭吉『西洋事情』発表1866年(明治2年)ベストセラー ・文久2年 奥医師に任命され江戸へくだる ・洪庵先生の長崎の息子への手紙 ・医学所の頭取の兼任を命じられる ・文久3年1863年6月10日突然の大量の客血 ・東京 駒込 高林寺に埋葬、大坂 天満 龍海寺に遺髪を納められた ・1864年8月連合艦隊(英米仏蘭)下関報復攻撃 開国論台頭 ・函館五稜郭設計 洪庵の弟子武田斐三郎 ・官軍(大村益次郎)旧幕府軍(大鳥圭介)適塾門下生同士の箱館戦争 ・高松凌雲(同愛社設立)赤十字思想実践日本福祉活動の魁 ・佐野常民(博愛社設立)博愛思想に基づく適塾門下生の開花 ・幕末の維新期にあらゆる分野に活躍した洪庵先生の弟子達 ・弟子達に蘭語メース(先生)と呼ばれていた洪庵先生 ・洪庵先生に腸チフスの治してもらった福沢諭吉は終生感謝していた ・福沢諭吉と勝海舟が犬猿の仲の訳 ・アメリカでクラーク先生の教えを受けた新島襄が、来日への依頼をした ・札幌農学校1回生大島正健(札幌バンド)クラーク先生の薫陶を受ける ・大島正満(大島正健の長男)新島襄に ・明治5年福沢諭吉『学問のすすめ』冒頭について ・学問の急務を予見し、実践し、多くの人材を世に多く送っていたのが適塾 ・福沢諭吉の緒方洪庵先生への漢詩 ・洪庵先生が学ぶ時期について ・洪庵先生の妻 八重さんの葬儀行列には2KM並んでいた ・大坂 中島懐徳堂の教授 中井竹山 中井履軒 麻田剛立 ・富永仲基、幕臣大塩平八郎も入門していた壊徳堂 ・大坂の風 大坂の空気
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Part66 病気や医療制度について今一度考える映画「コクリコ坂から」 前編
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【Part66 病気や医療制度について今一度考える映画「コクリコ坂から」 前編】は約54分の音源です。 ・乳酸菌も意思の伝達をしている ・癌と共生して元気にしている寺子屋メンバーの知人の話 ・70歳すぎのガンはラッキーと考える生き方 ・ガンに対する、考え方、意識の持ち方 ・ガン患者の周りの人達の意識で本人の免疫も変わる ・手術のマイナス作用 ・5年生存率の真実とは? ・偽りの情報に騙されないように ・生検検査の怪しさ ・ガンを克服した人達から学ぶ ・ガン患者に対する医者の恐喝 ・低体温症と免疫の関係 ・弱いガン患者を騙す人 ・ベルトコンベアーのガン医療 ・患者個人の考えは無視される今の医療 ・ガンと共に生きる ・死亡診断書の真実 ・ガンで苦しまずに亡くなる人達の症例 ・ほったらかし療法 ・すい臓ガン患者の例(分からない資料の多さ) ・和尚さんの疑問 ・S・ジョブズの場合は? ・「大往生したけりゃ、医療と関わるな」と、問う人 ・CTが世界で一番多い日本の悲劇と不思議 ・本当の正常な人の血圧とは ・本来は自分の体の機能で健康をコントロールするのがあたりまえ しかし、今は薬でコントロールされている現実(おかしくないですか?) ・お年寄り、ほぼ全員が降圧剤を飲んでいると言う話 ・今一度、問いたい ヒポクラテスの誓い。(医療の倫理)
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Part66 病気や医療制度について今一度考える映画「コクリコ坂から」 後編
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【Part66 病気や医療制度について今一度考える映画「コクリコ坂から」 後編】は約1時間10分の音源です。 ・和尚さんのジブリのお話に聞き入ってくだい。
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Part67 生老病死について考える自然死・尊厳死 前編
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【Part67 生老病死について考える自然死・尊厳死 前編】は約1時間6分の音源です。 ・親しい人の死は色々なことを考える機会を与えてくれている ・人間生きている間は、お釈迦様の悟りと同じになれないものがある ・固形ガンは本人が65歳超であれば、マイナスイメージを持たず、切除しなければ天寿を全うする ・ガンを切除すると免疫は低下する ・患者自身の覚悟、心構えと医者の脅し ・医療とは命を担保にした博打である ・本人は病気を良く勉強しているが、家族が無知、無責任である ・人間ドックシステムは病院の生簀、働き盛りの年代を対象とした蟻地獄 ・健康診断の判断、自分のリズムで生きられたらそれで良い ・どの国でも苦しみの三種の神器は、医療にかかった人が多い ・長野県では老人のガン健診を止めたらガン死亡率が半分になった ・新薬は11年で特許が切れる。ジェネリック薬(ゾロ薬)って? ・官僚の奴隷になっている政治家 ・数字のトリック 儲かる人(製薬会社、医師会、厚生省)に金が集まる ・放射能の被爆許容値変更からみる政治家の嘘とトリックから見る新ビジネスの構築 ・昔は生老病死が日常にあった ・ガン治療の嘘を知っていた俳優の話 ・抗ガン剤の定義 『猛毒・毒薬・激薬』 ・医療にかっかってない人は自然死している ・自宅で死ぬために係り付け主治医を見つける ・公正証書による尊厳死宣言の事例 ・家族の無知、無責任と医師側の都合による裏側事情 ・医療の名のもとにガンビジネスの事実を皆が知らなければならない ・フランスでの医者と牧師の仕事区分 ・平安朝時代から日本にあったお坊さんの臨終行儀作法 ・70歳のお婆ちゃんの臨終行儀作法のお話 ・今こそ1人々がほんとうの命を取り戻すしかない ・若い時は成長、握力、力がある ・病気とは年相応の状態である ・「一切皆空」 ・家族の無知無責任の感情論で善悪を決めてはいけない ・老人の後ろ姿で学ぶ ・時代を飛び越えて生き方が共感できる田中正造、本田静六、南方熊楠
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Part67 生老病死について考える自然死・尊厳死 後編
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【Part67 生老病死について考える自然死・尊厳死 後編】は約1時間6分の音源です。 ・寺子屋シリーズの話で緒方洪庵「適塾」、下賀茂神社 河合神社へ行く ・法は小さきに従え ・鴨長明「方丈記」短文の名文 ・人生の下り坂 生きる目的 ・指針なくなった現代の時代にも通じる話 ・宮崎両先生の「コクリコ坂から」が結果的にの鎮魂と激励になっている ・週末医療の主治医を作っておかなければならないほんとの理由 ・直近50年ほどは、老衰、自然死はガンで死んでいた ・治療ガイドラインのカラクリ ・喰い物にするものは医療だけでなくマスゴミも ・新薬の数字のトリック ・病院を逃げ出す人物がいればガンは治ったとカウントしている ・降圧剤1兆円産業、血圧なら3兆円産業へ ・少しコレステロールが高くメタボの入り口にいる人は長生きしている ・天の摂理 底辺に知らしむべからず ・死亡原因も、苦しみ ・寄生虫(利権)経済が医療に入りすぎ ・医療費の圧縮はなく絞るところは底辺 ・ゴミ箱をみると、生ゴミの年間費用11兆円 ・中東カタールは健闘している ・国でなく小型ジェット機の基幹産業でリードしていく ・無駄を省く「屋台商法」 ・昔ながらの自然死(死に方)を家族に見せ伝えていく人間の最後の務め ・一般の人々の潮目が変わってきている ・昔は感染症(肺結核・風邪)が多くその薬を作って効いていた ・生活習慣病は薬が効かない自然な老化現象である ・猿で実験30%減らして食べても結果は同じだった ・結論有りきで番組を作っている危険なNHK ・世界の大きな強い番組がNHKを利用しプロパガンダにも利用されうる
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Part68-日本の誇れる先人 新渡戸稲造・猿学と大神学 前編
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【Part68-日本の誇れる先人 新渡戸稲造・猿学と大神学 前編】は約54分の音源です。 ※スマートフォンやタブレットなどは、正常にダウンロードできない場合がございます。PCからのダウンロードをおすすめしております。ご了承ください。 ・落語は仏教の説法からできた・扇の意味 ・教育に熱心だった「新渡戸稲造」 ・50年間地域に貢献 ・農業をとても大切にした人 ・ウソの罪悪感がない政治家 ・TPPを農耕民族と狩猟民族の性格で考える ・国民が変だと感じているTPP ・色んなことを世界に提案できる日本国になってほしい ・岡潔先生のたとへ、猿の学問・大神(おおかみ)の学問 ・最近、新しい概念を理解できる人が増えてきた ・音楽は数学から(ピタゴラス) ・1949年・昭和24年ジョン・フォン・ノイマンがπの桁2037桁を出す ・2011年日本のサラリーマンが円周率を10兆桁まで計算 ・円周率50桁が常に頭にある人 ・自然対数・虚数・πを一つにすると無になる(レオンハルト・オイラー) ・純粋な人が数学に向いている ・最近の各学会や社会の場は猿学である ・病気と個性の境目は ・猿学と大神学の違いは情緒 ・いくら脳を研究しても、今の医学ではうつ病を治せない ・純粋経験がなければ伸びない ・回文数式 (例)1234+8765=9999=5678+4321 ・回文から見る文学と数学の関係 ・名曲は数学でできている(オイラー) ・友愛数 数学は美学である情緒の世界 ・見えるものは見えないものの世界によって、意識は無意識によって ・見える物と見えない物との関係 ・一の概念を理解した人はいない(岡先生談) ・人間は神様の手帳をちょっとのぞきみ見しているに過ぎない ・あいまいをうまく使い分けている人間 ・世の中の仕組の面白さ ・今回のローマ法王・カトリックとイエズス会の違いとは? ・キリスト教(バチカン)の表と裏 ・上智大学はイエズス会 ・ザビエルを日本に連れてきたのはヤジロウ(弥次郎) ・和尚さんも予測していた今回のローマ法王 ・ザビエルの手紙の内容
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Part68-日本の誇れる先人 新渡戸稲造・猿学と大神学 後編
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【Part68-日本の誇れる先人 新渡戸稲造・猿学と大神学 後編】は約1時間5分の音源です。 ※スマートフォンやタブレットなどは、正常にダウンロードできない場合がございます。PCからのダウンロードをおすすめしております。ご了承ください。 ・弥次郎の墓が薩摩で見つかった ・大島正健とクラーク先生 ・八キロの水路を完成させた稲造の祖父 ・幼少の稲造が興味を持ったもの ・五歳の時に袴の義を受ける ・母の口癖 ・10歳で太田時敏の養子になる ・1876年明治天皇が新渡戸家に来訪、この時に農業を志す ・1887年札幌農学校に入学 ・クラーク先生の残していった本を読破 ・キリスト教に入神 ・宮部金吾・内村鑑三らと首席を争う ・キリスト教に疑問を感じ始める稲造 ・10年ぶりに帰郷するが、その2日前に母が死亡 ショックを受ける稲造 ・後、一冊の本との出会から立ち直る(トーマス・カーライル書) ・この時に稲造は永遠の否定から永遠の肯定に変わる ・22歳で東京大学文学部に入学、学部長に 「もし、天が許すなら太平洋の架け橋となりたい」と発言 ・1884年稲造アメリカに渡る(ジョンズ・ホプキンス大学に留学) ・武士道を書いた訳 ・兄が亡くなり再び新渡戸の性を次ぐ ・1891年メアリー・エルキントンと国際結婚 ・戦後のクエーカー教の日本への影響 ・彼の授業が学生に受けた理由 ・メアリーの実家から遺産が送られてくる、後 1901年(明治34年)札幌に「遠友夜学校」の設立 ・1906年(明治39年) 第一高等学校長に就任。社会性の強調 (ジェントルマンの育成)人格主義を第一とした ・後、著名な教育者、政治家、聖書学者らを輩出した。 ・1918年(大正7年) 東京女子大学初代学長に就任(稲造文庫がある) ・過労で倒れたときに「農業本論」を書く、後カルフォニアで 「武士道」を主筆 ・いろんな本を主筆している稲造 ・1919年国際連盟設立、事務次長に就任、世界を舞台に国際問題 民族問題に取り組む後、ユネスコの精神的前進になっている 「知的協力委員会」の設立、議長に世界的哲学者ベルグソンを立てて ヨーロッパのインテリジェンスを知的メンバーにして、そのトップに立つ ・週末にはベルグソンやアインシュタインが稲造宅によく遊びに来ていた ・稲造とベルグソンはジャンヌ・ダルクの奇跡についてよく夜を明かした ・ジャンヌ・ダルクの話 ・いまだに百年戦争は続いている ・不思議なことが好きなベルグソン・ヴァイオリニストのアインシュタイン ・稲造にとってジュネーブの7年間は幸福と充実の日々だった ・1932年四月反日の嵐のなかアメリカに渡る ・1933年(昭和8年) カナダ・バンフにて開催の 第5回太平洋会議に出席 その途中、列車のなかで激しい腹痛に襲われるが職務を全うする ・1933年10月15日メアリーに見守れながら72歳の生涯をビクトリア市にて閉じる ・まさにラスト侍、武士道を全うした稲造 ・われ太平洋の架け橋とならん ・一万円札でもおかしくない人(新渡戸稲造) ・山本空外・新渡戸稲造・ベルグソン・アインシュタイン彼らの不思議な縁 ・時代の波を感じる ・「偉くなる人は10年20年本気になって打ち込むこと、若ければ若いほど 一生懸命やること、その時は10年でもほんの2・3日の時間に等しい そこに入れる人間でなければ、あゆみ続けられないものである」
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Part69 日本科学に寄与した理系女(リケジョ)の 先駆者たち 前編
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【Part69 日本科学に寄与した理系女(リケジョ)の 先駆者たち 前編】は約1時間3分の音源です。 ・理系女の台頭化 ・理科学研究所(理研)には3割超の女性がいる ・日本の高等教育の発祥は東京お茶の水の湯島の聖堂に集まった ・大学南高(洋学一般) 大学東校(医学) ・徳島出身 長井長義 日本初代理学博士の紹介 ・数学者 菊池大麓 15歳でケンブリッジ大学へ留学 後の東京帝大総長となる ・学習院総長 桜井錠二 18歳でロンドン大学入学 1年目で成績はトップ 日本化学界のリーダーへ ・現代化学の幕開け科学者は心豊かに、共通した女性の科学研究へ加減することなく手を差し伸べていた ・岩倉使節団 5人の女性を派遣 ・後の津田塾女子大創設者である津田うめ当時7歳最年少メンバーにいた ・日本女子高等師範学校(女高師)東京、奈良に創設される ・女高師は、良妻賢母か教職につくしか選択するしかなかった中から上を目指す人がでてくる ・保井コノ 新設東京女子高等師範学校の理科の1回生となる ・津田うめ 女子英学校創設(津田塾女子大学前身)36歳 津田梅子へ改名する ・成瀬仁蔵 日本女子学校 現 日本女子大学 創設 女子教育 20世紀の幕開け ・明治34年 28歳丹下ウメ 日本女子高等師範学校家政科入学トップで卒業 ・長井長義 女性の化学教育に熱心であった ・明治34年 鈴木梅太郎 オルダミンの名でビタミンB1発表 ・鈴木梅太郎と森 林太郎との討論とその結果 ・鈴木梅太郎 理研の主任研究員となる ・黒田チカ 23歳で女高師登竜門へ ・保井この 女高師の助教授へ ・東北帝大 理化学 沢柳政太郎校長と有機化学者 真島利行による帝大初の女子の入学を認める ・3人の女性 丹下ウメ、黒田チカ、牧田らく 東北帝大生誕生 ・女性の入学を認めていなかった理由と時代背景 ・大正3年 34歳保井コノ ハーバード大学 植物の化石学 実験手法を専攻 ・大正3年1914年 第一次世界大戦勃発 化学工業の民間研究所を作る必要性を説く 発起人 渋沢栄一 提唱者 高峰譲吉 ・理研創設の経緯 ・日本の10大発明家 ・本多光多郎 「鐵は金の王なる哉」 ・大正7年 保井コノ留学先英国オックスフォード大学「家事に関する理学研究」 ・黒田チカ 「色素の研究」に従事 ・丹下ウメ 48歳文部省嘱託による学童の栄養に関するアメリカでの調査
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Part69 日本科学に寄与した理系女(リケジョ)の 先駆者たち 後編
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【Part69 日本科学に寄与した理系女(リケジョ)の 先駆者たち 後編】は約1時間7分の音源です。 ・エルマー・マッカラム先生に師事しジョージポプキンズ大学に留学した 丹下ウメについての手紙と推薦状が残っていた話 ・丹下ウメ PH(学術博士) ・北海道帝大に2人の女高師 辻村みちよ 29歳と加藤せち 28歳と30年後 ・機械工学 大河内正敏による理研の主任研究員制度の採用 ・加藤セチ、和田猪三郎の研究室へ 「理研には大学にはない自由度がある」 ・大正12年 関東大震災の震源地は? ・理研の建物と雰囲気 ・震災による災難が新しい道を開く ・三浦政太郎のビタミンの研究へ ・不思議の糸によって理研にたどり着く日本の理系女のはしり ・保井コノ帰国後 石炭の植物学研究に取り組む ・昭和2年1921年47歳保井コノ「日本産石炭の植物学的研究」論文による女性で初めて理学博士の学位へ 身をもって学問に男女の差がないのを証明 ・昭和4年45歳理研の黒田チカ、紅の天然色素構造を決定し2人目の女性理学博士へ ・一握りの紅に60貫の花が必要 当時金と同じ値打ちだった ・加藤セチ、 物理学の分光学を科学分析に応用とした ・分光学:物質の正体を明らかにする手段 ・理研の所内留学について ・辻村みちよ 三浦政太郎と共著にてタンニンの構造決定 昭和7年東大から農学博士の学位へ ・上空3,000mにある納豆菌は伸びがやわらかい ・辻村みちよ 留学経験もなく女高師だけで無給の手伝いから44歳でお茶の博士 ・丹下ウメ 米国でビタミンB2の複合体の研究 昭和15年1940年67歳農学博士を 学位へ ・鈴木ひでる女史 長井長信の最後の弟子 女性で初めての薬学博士となる ・鈴木梅太郎先生の研究室の集合写真の話 ・丹下ウメの動物実験担当の手伝い道喜美代は、後の日本女子大の学長をしている ・西田寿美、鈴木梅太郎に直訴し東大の聴講生へ、研究者として独立の農学博士へ ・昭和15年東京出身、湯浅年子仏政府留学試験に合格、ジョリオ・キューリー夫妻へ弟子入り、コレージュ・ド・フランス原子核化学研究所「β崩壊の研究に没頭 ・湯浅年子、桐箱で実験し仏の理学博士へ ・新憲法により男女同権が保証された ・昭和2ケタ代 女性のパイオニア達の輩出、女性科学者のゆりかご ・東京女子高等師範学校はお茶の水女子大学に生まれ変わり 新旧の交代の訪れが始まる ・黒田チカ「科学する心」を説く ・丹下ウメ、日本女子大を去る時の歌について ・黒田チカ 昭和32年 73歳の時の女子校生との懇談会での逸話 ・人生の節目、世代による衣装哲学について ・研究は孤独で厳しいが先駆者の生きざまを思い出し、寺田寅彦先生の人間性豊かな生き方も加味して研究を続けて欲しい ・あくなき研究方法は自分で ・人の話を聞くべき カーライルの言葉 ・元素の合成解明の必要性、新しい人工物質の創成、癌や認知症の克服 ・学問の垣根を超え物質と生命の根源にせまっていかなければならない
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Part70 「ハイエット」はミクロの自然。南瓜やビワ、タネに自然のもとが。武田家・徳川家のモト、ルーツは? 前編
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【Part70 「ハイエット」はミクロの自然。南瓜やビワ、タネに自然のもとが。武田家・徳川家のモト、ルーツは? 前編】は約1時間2分の音源です。 ・ハイエットで元気な農作物を作る ・油と水をハイエットで混ぜる実験効果をみる ・実験好きの若者がふえてきている ・種と宇宙の関係 ・カボチャの種は体に良いのに捨てられる理由 ・無知はあらゆる不幸の源である ・自然界から頂く物は皆薬になる ・昔の人と今の人との神に対する定義の違い ・日本で一万二千年前のツボが出土ている、その事実から分かること ・理研(理化学研究所)が出来た理由(渋沢栄一・高峰 譲吉)など ・「鉄の神様」と呼ばれた人(本多光太郎) ・理研の三太郎と呼ばれた人(長岡半太郎・鈴木梅太郎・本多光太郎) ・自然の生き方と欲による生き方、縄文・弥生 ・人々の自覚で変わる世の中(原点は自分の心にある) ・ハイエット情報の一戦に立つ会社(日本冷凍輸送株式会社・株式会社くらぜん) ・国の本体は農政に有り ・今、本当の食べる物を真剣に考える場が必要 ・竹筒の水筒の水は腐らない(自然のシンプルさ) ・沢山の人の善意の無心の目が神の目 ・世界の色んな発酵文化 ・家庭で出来る体に良い生姜の食べ方 ・柿の種は栄養が一杯 ・種のすばらしい効用を聞く ・人体の不思議(腸内細菌) ・栄養学の嘘 ・宇宙旅行の可能性 ・薬を売るための色んな手段 ・腐敗から発酵へ ・クマムシの生態系の不思議 ・3Dコピーを予測していた和尚さん ・なぜ薩長は幕府に勝ったのか ・南北戦争・リンカーンの秘密 ・武田の金の影響力(浴の的になる) ・資本主義の貨幣経済を金から見る ・ボストンにアメリカの三つ巴の力が結集・パワーバランスは? ・政治の中にはアクシデントはない。(ルーズベルト)
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Part70 「ハイエット」はミクロの自然。南瓜やビワ、タネに自然のもとが。武田家・徳川家のモト、ルーツは? 後編
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【Part70 「ハイエット」はミクロの自然。南瓜やビワ、タネに自然のもとが。武田家・徳川家のモト、ルーツは? 後編】は約1時間17分の音源です。 ・空外先生が昔フランスでお世話になった哲学者 H・N・ジルソン ・広隆寺の弥勒菩薩に感激したヤスパース先生 ・フランス最高の学問所(CdF)コレージュ・ド・フランス 1870年(1530年フランソワ1世によって創設「王立教授団」の前進) ・現在は一般人も受講出来る ・日本人もCdfの教授になっている(評論家・医学博士 加藤 周一 1919年(大正8年)(美術史学者 高階 秀爾 たかしな しゅうじ、1932年) ・キュリー夫人を追いかけCdfに渡った日本の女性物理学者(湯浅 年子1909年12月11日 - 1980年2月1日) ・最初のCdf哲学教授にアンリ・ベルクソン、五代目がエティエヌ・ジルソン ・当時のジルソン先生・ヤスパース先生の書を、ご本人から頂いた空外先生 ・現在、空外記念館に保管 ・武田勝頼は本当に天目山で死んだのか? ・徳川時代 武田の残党はどこに、又甲斐の国はどのような変化をしていたか ・関ヶ原以降は甲府潘になり幕府直轄領になる(金の採掘) ・螺旋の路・江戸城から真直ぐな路・甲州街道 ・八王子に武田武士の多くが住んでいた理由 ・なぜ武田家は城攻めがうまかったのか? ・本当の貨幣の始まりは信玄から? ・金の使い方を知っていた秀吉 ・家康に助言していた信玄 ・戦に負けた勝頼の悪評は間違い ・信玄が亡くなる時、勝頼に残した言葉 ・家康と見性院・大久保長安の関係 ・家康は秀吉のために甲斐の武士を大阪に入れた、結果秀吉は大量の金を手に入れる ・後、マルコポーロの嘘が欧米に火をつける ・九州を攻め喘いだ家康が出した先見的知恵 ・家康の天下統一には大久保長安(見性院)の力が必要だった。 ・複雑そうでよく考えられた徳川の家系の仕組み ・徳川家系図 ・徳川宗家から柳沢吉保に変わった甲府潘 ・「黄金の国ジパング」金に群がる欧米諸国 ・為替レートで蓄財した柳沢吉保 ・家光と秀忠の四男 保科 正之(ほしな まさゆき 会津藩主)は異母兄弟 ・保志正之に仕えた山本家(元武田家家臣) ・武田と徳川が江戸を作った ・日本(武田)の金で「フランス革命」「南北戦争」などが起こった。 ・金が世界に与える影響を知っていた秀吉 ・幕末、薩長にも影響を与えた ・薩長が幕府に勝った理由 ・長曾我部・山ノ内一豊と武田の関係 ・土佐と甲斐の方言がよく似ている事実 ・想像に想像を重ねると武田勝頼は実は生きていた? ・見性院・松姫などと会っていた謎の人物 ・表立って話せない金(武田)から見た歴史 ・明治に武田二十四将の末裔、板垣退助が土佐から出る ・凄いネイムバリューの板垣退助 昔からの土佐と武田の関係 ・土佐と武田の関係を知っていた石田三成 ・豊臣と徳川の争いをうまく収める絵を書いた人物 ・愚将ではなかった武田勝頼 ・歴史の遺品が証明する勝頼・玄蕃の同人物説!!? ・歴史の点と点が時空を超えてつながる面白さ ・壮大な歴史話の難しさ ・ロシア革命は明石元二郎がレーニンに援助して行われた ・大国が日本に干渉してくる理由 ・歴史とは? ・なぜ、天皇には名字がないのか? ・「すべての未知はロマンに通じる」
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Part71-世の中の嘘と真・信玄・家康・信長。歴史は造られるもの… 前編
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【Part71-世の中の嘘と真・信玄・家康・信長。歴史は造られるもの… 前編】は約1時間の音源です。 ※スマートフォンやタブレットなどは、正常にダウンロードできない場合がございます。PCからのダウンロードをおすすめしております。ご了承ください。 ・自分のリズムが大切 ・便利は不便 ・原爆の効果を広島・長崎で実験したアメリカ ・信用出来ないメディア ・公開されない月の裏側 ・広島・長崎の原爆投下を指示してきた男(ジョン・ホイ・ノイマン) ・ロズウェル事件と電子回路 ・美味い汁を吸う人と吸われる人達 ・スマトラの大地震と3・11の関係 ・福島の汚染水流失の真実 ・9・11も改めて考察する ・3・11の映像の不思議 ・EMPという兵器 ・「政治にアクシデントはない」 ・歴史の定義とは? ・今回のローマ法王と教会の秘密 ・ダーウィンの進化論と日本の住み分け理論(今西錦司) ・人類のルーツは ・物事は肯定的に取るほうが世界が広がり面白い。 ・歴史の解釈の面白さ ・家康の母が祈願していた甲斐の善光寺の峯薬師 ・明治政府設立時に起きた論争(天皇南朝・北朝説)を上手く収めた人 ・駆け引き外交のうまい重野厚之丞 (しげのあつのじょう) やがて名前を安繹(やすつぐ)に改名 帝大教授になり歴史の解明に力を入れ活躍 ・家康出生の秘密が本に載っていた ・なぜ家康の遺体が久能山東照宮に? ・家康生前の言葉 ・日光東照宮は御霊・久能山東照宮には遺体 ・日光東照宮・世良田東照宮・久能山東照宮が一直線に? ・徳川発祥の地(群馬の世良田東照宮)何人も入れなかった理由?。 ・武田の花菱の中に葵の紋が? ・武田の表と裏の秘密 ・1603年家康は五男・信義に武田家を再興させる ・見性院と家康の中の良さ ・善光寺にも信玄・家康の位牌がある ・家康入れ替わりの時期は? 世良田二郎三郎が松平二郎三郎元信になる ・武田勝頼の妹・松姫(信松尼)の由来を聞く ・織田の家系図に信忠の正室として残る松姫 ・本能寺の変の諸説
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Part71-世の中の嘘と真・信玄・家康・信長。歴史は造られるもの… 後編
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【Part71-世の中の嘘と真・信玄・家康・信長。歴史は造られるもの… 後編】は約56分の音源です。 ※スマートフォンやタブレットなどは、正常にダウンロードできない場合がございます。PCからのダウンロードをおすすめしております。ご了承ください。 ・徳川家康の父 松平広忠 ・松平二郎三郎元信は徳川家康 ・家康入れ替わりの謎(桶狭間説) ・元信と元康、母は同じでよく似ていた ・家康と見性院の関係 ・信長・勝頼は同じ天正十年に死去している ・本能寺の変の諸説 『信長公記』(しんちょうこうき)『惟任退治記』(これとうたいじき) ・戦国大名、当時の事情の複雑さと謎 ・信長の最後の言葉 ・スペイン人・アビラ・ヒロンの証言(日本王国記) ・弥介はモザンピーク島からヴァリニャーノ宣教師が奴隷として連れてきた ・光秀謀反前の歌(ときは今 天下しる五月かな)には二つの歌が残っている (ときは今 天下なる五月かな) ・松平家忠の日記、その資料的価値 ・戦国大名の野心 ・当時の情報の伝わる速さ ・本能寺の変の時、二日で堺から三河に帰った家康の速さ ・見性院の夫(穴山梅雪)の謎 ・京都・阿弥陀寺の信長の墓 ・秀吉が何回も訪ねた理由 ・阿弥陀寺(清玉上人)と織田家の関係 ・惟任退治記は秀吉が御伽衆に書かせた物 ・本能寺の変の諸説 ・信長から学んだ秀吉 ・戦国で学んだ家康の知恵(江戸幕府) ・大久保長安はアブラハムの系統? ・信忠の松姫への深い愛情 ・歴史の諸説の面白さ ・発想や物の考え方は広く持つことが大事 ・武田家・徳川家の共通の合言葉『人は石垣 人は城』
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Part72 真理はどこに?福島・シリア・医療・・・共通の逆視点 前編
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【Part72 真理はどこに?福島・シリア・医療・・・共通の逆視点 前編】は約57分の音源です。 ・鬱の現状と傾向 ・関東、関西の違い ・放射能汚染水対策からみる予測 ・シリア情勢、プーチンとオバマは千両役者?! ・ケリー・オバマの名コンビぶり ・アメリカ内乱とシリア戦略の真相は・・ ・だましだまされの知恵は戦国時代から培われていた ・秀吉、毛利征伐の詳細 ・日本の戦国時代の戦略の応用 ・福島問題の見方 ・地震は数年前からわかっていた?! ・キッシンジャーの言葉 ・二つに分かれる世界を知る ・日本人の力 ・世界の放射能汚染度 ・関西の地震情報とは・・ ・無二的世界を形成するには・・ ・他を重んじると自も良くなる ・「イワンのバカ」はトルストイの老子好きから生まれた ・ソクラテスの洞窟の比喩 ・国家とは何か・・ ・アイデアの語源はイデア
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Part72 真理はどこに?福島・シリア・医療・・・共通の逆視点 後編
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【Part72 真理はどこに?福島・シリア・医療・・・共通の逆視点 後編】は約53分の音源です。 ・ソクラテスとプラトンの対話 ・ダヴィンチの肖像 ・アーテナイ学派の絵 ・近代史の見方 ・和尚さんの来年のテーマ ・ワクチンの害 ・場と心で病気は治る ・赤ちゃんの笑い ・田中さんの病いのケース ・医療の実態 ・ノリエガ将軍とパパブッシュの作戦 ・抗精神薬という名の麻薬 ・魂の法則 ・輪廻転生のヒント ・バッタの習性から学ぶ自然界の醍醐味 ・年齢によって衣装を変えていくことの重要さ ・岡潔先生の言葉 ・ジブリの世界