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【Part69 日本科学に寄与した理系女(リケジョ)の 先駆者たち 前編】は約1時間3分の音源です。
・理系女の台頭化
・理科学研究所(理研)には3割超の女性がいる
・日本の高等教育の発祥は東京お茶の水の湯島の聖堂に集まった
・大学南高(洋学一般) 大学東校(医学)
・徳島出身 長井長義 日本初代理学博士の紹介
・数学者 菊池大麓 15歳でケンブリッジ大学へ留学 後の東京帝大総長となる
・学習院総長 桜井錠二 18歳でロンドン大学入学 1年目で成績はトップ 日本化学界のリーダーへ
・現代化学の幕開け科学者は心豊かに、共通した女性の科学研究へ加減することなく手を差し伸べていた
・岩倉使節団 5人の女性を派遣
・後の津田塾女子大創設者である津田うめ当時7歳最年少メンバーにいた
・日本女子高等師範学校(女高師)東京、奈良に創設される
・女高師は、良妻賢母か教職につくしか選択するしかなかった中から上を目指す人がでてくる
・保井コノ 新設東京女子高等師範学校の理科の1回生となる
・津田うめ 女子英学校創設(津田塾女子大学前身)36歳 津田梅子へ改名する
・成瀬仁蔵 日本女子学校 現 日本女子大学 創設 女子教育 20世紀の幕開け
・明治34年 28歳丹下ウメ 日本女子高等師範学校家政科入学トップで卒業
・長井長義 女性の化学教育に熱心であった
・明治34年 鈴木梅太郎 オルダミンの名でビタミンB1発表
・鈴木梅太郎と森 林太郎との討論とその結果
・鈴木梅太郎 理研の主任研究員となる
・黒田チカ 23歳で女高師登竜門へ
・保井この 女高師の助教授へ
・東北帝大 理化学 沢柳政太郎校長と有機化学者 真島利行による帝大初の女子の入学を認める
・3人の女性 丹下ウメ、黒田チカ、牧田らく 東北帝大生誕生
・女性の入学を認めていなかった理由と時代背景
・大正3年 34歳保井コノ ハーバード大学 植物の化石学 実験手法を専攻
・大正3年1914年 第一次世界大戦勃発 化学工業の民間研究所を作る必要性を説く 発起人 渋沢栄一 提唱者 高峰譲吉
・理研創設の経緯
・日本の10大発明家
・本多光多郎 「鐵は金の王なる哉」
・大正7年 保井コノ留学先英国オックスフォード大学「家事に関する理学研究」
・黒田チカ 「色素の研究」に従事
・丹下ウメ 48歳文部省嘱託による学童の栄養に関するアメリカでの調査
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