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【Part31-近代物理学の歴史 長岡半太郎から湯川秀樹へ 後編】は約57分の音源です。
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・仁科芳雄(物理学者)
日本に量子力学の拠点を作る
宇宙線を研究対象に
サイクロトロン(核粒子加速装置)を完成させる
・1914年(大正3年) 東京帝国大学 電気工学に入学する
・1918年(大正7年) 理化学研究所に入る
ここに二年間籍を置き、東大大学院で数学と物理を勉強する
・1920年(大正9年) 欧米留学
イギリス、ドイツそしてデンマークのニールス・ボアの研究所へ
ここで本格的な物理学者として成長していく
ハイゼンベルクやシュレーディンガー、ディラックと共に量子力学について研究する
クライン・仁科の公式をまとめる
・1928年(昭和3年) 帰国 翌年結婚
・1929年 ハイゼンベルクとディラックが来日した際通訳をし、有名になる
・木村教授が仁科先生を京大に呼び量子論の講義をする事になる
その講義を湯川秀樹や朝永振一郎が聴いていた
・1931年(昭和6年) 理研の主任研究員に任命
仁科研究室が発足 4つの研究テーマを掲げる
量子論、原子核の研究、X線の分光学そこから宇宙線へ、核物理学素粒子
朝永振一郎 嵯峨根遼吉を研究所の2大柱に
その中で研究員たちはのびのびと自力を発揮していった
日本の物理学を世界のトップレベルへと引き上げていった。
・1933年(昭和8年) 仁科先生は東北大学で行われた日本数学物理学会に出席
そこで湯川先生に与えた助言が中間子論の大きなヒントになる
・1937年(昭和12年) ボアが夫人と息子と共に来日
・1945年(昭和20年) 空襲により研究所が焼失。軍の命令で広島へ原爆の調査へ
・1946年(昭和21年) 文化勲章
・1949年(昭和24年) 湯川秀樹 ノーベル賞受賞
・1950年(昭和25年) 11月 発病
働きて 働きて病む 秋の暮
・翌 1月10日 60歳の若さでこの世を去る
学閥とは無縁に自分で選んだ道を全力疾走した生涯
それを支えたのは科学への一途の愛と常に人を思いやる優しさであった
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